2013年2月10日(日)
ゆりとユリ
言葉どもは死に絶え、世界ばかり永遠に若くありつづける。ひとりの芸術家が世界を新しいやりかたでみたのだ。そして、アダムのように、あらゆるものに自分でこしらえた名前をつけるのだ。ゆりは美し花だ。けれども「ゆり」という言葉は手あかにまみれ、凌辱されている。だからわたしはゆりを「エオエ」とよぼう。そうすれば花本来の純潔さがとりもどされる…
ロシアの詩人のクルチョーヌイフの言葉で、彼が言っているのは独りよがりのようですが、言葉により物事が変質してしまう、自分が最もふさわしい言葉(音)をつけようと言っています。[この言葉をザーウミ(共通の意味を超えた言語)といい、このような思想や運動はロシアアバンギャルドの重要な一翼を担っています。]
言葉はとても便利ですが暴力的でもあります、以前のブログの中で「貧困」と書きましたが貧困の種類はたくさんあり、正確な定義はありません。しかし、読む人各々に特定のイメージを伝達しています。
建築は各過程(企画・設計・建設)で関係する人数は多く言葉は図面・模型と同様に言葉は重要な伝達手段です。正確に自分の思いを他人に伝えることでより多くの意見交換をする事ができ、建物に深み(社会性)が表れてきます。
日頃から言葉のもつイメージに気を配る事で、自分がより多くのイメージ(ユリの美しさ)を誰にでもわかる単純明快な言葉で伝える事ができたら、独りよがりにならずより多くの意見が聞け楽しいだろうな。
※写真は購入したフェアトレードチョコです、ちびちゃん喜んでくれるかな?