2014年1月6日(月)
あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
仕事始めは何時の様初詣に赤坂日枝神社に行って来た。
男坂から境内へ、上着を脱ぎ二礼二拍手一拝を行い願掛してきた。
日枝神社に行くと当たり前の様、厳かな気分になり、作法=物事の仕方。やり方。しきたり。慣例。=にのっとた行動をしてしまう。
同じ神社でも、坂も階段も登らず参道も短い、近くの神社ではあまりその様な気持ちにはならない…が良く言えば親しみを感じる遊び場だ。
ふと思う…何が違うのだろう?
色々考えられるが神社としての建築的作法が確立されているか否かの違いであると思う。
建築的作法の違いにより同じ用途でもその使われ方は変質してしまう。
どちらが悪くどちらが良いかといった話ではなく、施主・利用者・社会の要望を読み取り、様々な建築的作法を検討し実行できたかである。
つまり建築的作法を意識しているプロが設計・監理をできたか?である。
これは神社に限った話では無く、すべての設計・監理の活動に言えることである。
人はくだらないとして礼儀作法をおざなりにするが、善人か悪人かを礼儀作法で決められることがよくある。
─ラ・ブリュイエール
建築家は建築的作法を知らない施主の要望を叶えつつ善人に導いてあげなければならない。
★作法と殺法丸ひとつで意味って全然変わりますね★