2014年4月14日(月)
“フルイ”ト”アタラシイ”
3月の旅行で善光寺にも行って来た。
善光寺は小学校4年の長野市見学以来2回目だ、少し過小評価していた。
参道は本堂まで一直線で高低もなかったが、立派なお寺であった。
大門の交差点より仲見世を通りから仁王門へ、本堂が遠く確認できず山門しか見えない。
再び仲見世通りから山門へ、ここでも本堂は見えるが全貌は確認できない。
参道も大門の交差点から仁王門・山門と徐々に狭くなり、視線を前へ前へと注視させながら、パースがかかり遠くに感じる。
山門を抜け始めて全貌が確認できる、それまでの本堂に対する期待感は半端なものではない。
そして本堂は周囲の山との関係も含め、それまでの期待に応えるべく立派なものである。
コンテクスト(地脈)を読む事で生まれる、山門の大きさ、各門8~5段の微妙な高低差、参道の幅・長さ、本堂と周囲の山との関係。
素晴らしいシークエンス(道行)であった。
※思い返すと、過小評価の原因は小学校の頃は裏の駐車場からいきなり本堂もしくは山門に行ったような….
古今東西、新しいルールと誘惑はセットである。
ニューオーダーのテンプテーション
トレインスポッティングの挿入歌でした。