-ギ-と-カタクナ-

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年末NHK日曜美術館の”特別編 アートの旅に出かけよう!”を見ていて…

十和田美術館、青森県立美術館、豊島美術館、朝倉彫塑館に行ってみたくなった。

なかでも朝倉彫塑館は、井浦新が絶賛していた事と、近くなので直ぐに行きたくなり先日子供と行って来た。

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朝倉彫塑館ではまず彫塑の徹底した自然主義的写実主義の持つ力に自然と飲み込まれ、気付くと感動していた。

 

何より建物が良かった、テレビではアトリエの方を主に取り上げていたが、日本家屋の方が抜群に良かった。

良かった点は幾つもあるが、大きく括り2つ挙げると、シークエンスとスケール感である。

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子供が彫塑の犬を本物の犬を見るようにワンワンと言い、日本家屋では(自宅でも)中々楽しむ事の出来ない生活のシーン(移りゆく時間や季節感)を楽しんでいる事に驚いた。

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建物の中心には、朝倉哲学を映す「五典の水庭」として、池に儒教の五常を造形化した五つの巨石(五典の配石)がある。

五典の配石には、自己反省の場としの言葉が添えられていた。

 

仁も過ぎれば弱(じゃく)となる

義も過ぎれば頑な(かたくな)となる

礼も過ぎれば諂い(へつらい)となる

知も過ぎれば詐(いつわり)となる

信も過ぎれば損(そん)となる

 

 

 

 

“20″と”40”

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先日小学校の恩師を呼んでの同級会(昭和60年度卒業)が長野であった。

小学校の同級生で集まるのは恐らく成人式以来であり20年経つ。

 

同級生一人と好きな小説の話になり、その時ふと思った20年前どんな本を読んでいたのだろう???

確認すると、読んでいた本の一つが”カンガルー日和 村上春樹”であった。

 

”だってそういうのって一度ごまかすと、その先何度もごまかすことになるからね。”

その小説のなかにこんな一節があった。

 

次回同級会は6年後に恩師が退職されるので、それ迄にもう一度やる事となった。

今回を2度目の成人式と思い、新成人(若い者)に負けることなく頑張ろう!!

 

★この方達も40祭!?楽しんでますね…これがきっかけで再結成です★

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40祭-1.http://www.youtube.com/watch?v=DaqPbXYetsE

40祭-2.http://www.youtube.com/watch?v=viZFQ-5cu_E

40祭-3.http://www.youtube.com/watch?v=O8MKutp-kxg

 

 

 

あけましておめでとうございます。

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新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

 

仕事始めは何時の様初詣に赤坂日枝神社に行って来た。

男坂から境内へ、上着を脱ぎ二礼二拍手一拝を行い願掛してきた。

 

日枝神社に行くと当たり前の様、厳かな気分になり、作法=物事の仕方。やり方。しきたり。慣例。=にのっとた行動をしてしまう。

同じ神社でも、坂も階段も登らず参道も短い、近くの神社ではあまりその様な気持ちにはならない…が良く言えば親しみを感じる遊び場だ。

 

ふと思う…何が違うのだろう?

 

色々考えられるが神社としての建築的作法が確立されているか否かの違いであると思う。

建築的作法の違いにより同じ用途でもその使われ方は変質してしまう。

 

どちらが悪くどちらが良いかといった話ではなく、施主・利用者・社会の要望を読み取り、様々な建築的作法を検討し実行できたかである。

つまり建築的作法を意識しているプロが設計・監理をできたか?である。

これは神社に限った話では無く、すべての設計・監理の活動に言えることである。

 

人はくだらないとして礼儀作法をおざなりにするが、善人か悪人かを礼儀作法で決められることがよくある。
─ラ・ブリュイエール

 

建築家は建築的作法を知らない施主の要望を叶えつつ善人に導いてあげなければならない。

 

★作法と殺法丸ひとつで意味って全然変わりますね★

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