スコアとライブ

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自分のお金で初めて購入したCDはツアーCDで、聞いた瞬間“しまった!”と思うと同時に、所々観客が歌い聴こえない…そんなCDを販売する事自体意味が理解できなかったのを今でも覚えている。

スコアがあり、それに沿いスタジオで創られ録音された完成品、それが重要だと思っていた。

しかし、スコアから生まれるライブは時として完成品からは少し遠いが、時代背景や個人的体験等がある時ある瞬間に爆発的な何かを産む、この瞬間が大切でこれを経験出来る事は幸せである。この体験を一度きりにせずスコアを更新していく行為がさらに重要である。

「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」-Glenn Herbert Gould

これは音楽に限った事でなく、建築の制作過程においても同じ事がいえ、我々は日々それを粛々と行わなければならない。

J-S-Bach. complete Goldberg variations by GLENN GOULD

ぶつぶつ言ってます…

貴いと賤しい

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昨年話題となった連続テレビ小説「梅ちゃん先生」、その登場人物で、集団就職で上京した東北出身の純朴な青年佐藤光男(野村周平)がこんな事を言います「職業に貴賤なし」。

社会生活において我々は夫々に立場があり、それにもとづき行動する事で社会が整然と構成され、自然(スムーズ)に社会生活を送る事ができる。

職業(社会的立場)には貴い賤いもなく、夫々が職業に自尊心を持ち仕事を全うする(働く)事で社会に必要とされ社会生活に参加していき賃金を得る、働き賃金を得る事それ自体がとても貴い行為なのです。

日頃、俗物的な考えに右往左往している自分の行為を改めさせられる言葉でした。

ゆりとユリ

ユリの花

 

言葉どもは死に絶え、世界ばかり永遠に若くありつづける。ひとりの芸術家が世界を新しいやりかたでみたのだ。そして、アダムのように、あらゆるものに自分でこしらえた名前をつけるのだ。ゆりは美し花だ。けれども「ゆり」という言葉は手あかにまみれ、凌辱されている。だからわたしはゆりを「エオエ」とよぼう。そうすれば花本来の純潔さがとりもどされる…

 

ロシアの詩人のクルチョーヌイフの言葉で、彼が言っているのは独りよがりのようですが、言葉により物事が変質してしまう、自分が最もふさわしい言葉(音)をつけようと言っています。[この言葉をザーウミ(共通の意味を超えた言語)といい、このような思想や運動はロシアアバンギャルドの重要な一翼を担っています。]

 

言葉はとても便利ですが暴力的でもあります、以前のブログの中で「貧困」と書きましたが貧困の種類はたくさんあり、正確な定義はありません。しかし、読む人各々に特定のイメージを伝達しています。

 

建築は各過程(企画・設計・建設)で関係する人数は多く言葉は図面・模型と同様に言葉は重要な伝達手段です。正確に自分の思いを他人に伝えることでより多くの意見交換をする事ができ、建物に深み(社会性)が表れてきます。

 

日頃から言葉のもつイメージに気を配る事で、自分がより多くのイメージ(ユリの美しさ)を誰にでもわかる単純明快な言葉で伝える事ができたら、独りよがりにならずより多くの意見が聞け楽しいだろうな。

 

※写真は購入したフェアトレードチョコです、ちびちゃん喜んでくれるかな?

 

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共同体と邪気

 

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節分-季節の変わり目に邪気(鬼)が生じ、それを追い払うための悪霊ばらいの行事

近年共同体(地縁・血縁等)で行う季節の変わり目の伝統的・因習的事柄(年中行事)を、煩わしさから疎かにしがちである、故に共同体に全く面識無い人間が紛れ、地縁・血縁途が絶え、共同体が緩やかに喪失していく…そこには最近起こる時事問題の邪鬼(一因)が潜んでいるのではないだろうか?

以前は年中行事を共同体で行い、定期的にお互い確認(邪気払い)する事ができた。伝統的事柄を見直し現代的に改善する事で、現代が必要とする適切な共同体が生まれる。形骸化し空疎となった伝統的事柄が時代と共にあらたな意味を持つ。

共同体を受け入れる器として、建築においても、居間/上・下座敷/床の間/縁側/縁台/たたき/飛び石/手水等、伝統(因習)的要素を、改めて見直す試みが再度行われても良いかもしれない。